藤田嗣治 戦争と芸術のはざまで -戦場、銃後の風景、日常を描く-
藤田嗣治 戦争と芸術のはざまで -戦場、銃後の風景、日常を描く-
2025.7.17(木) – 2025.9.28(日)
展覧会概要
第二次世界大戦下においては、画家が戦地に赴いて取材をする傍ら、戦場や兵士の様子、現地の風景、そして銃後の生活などを描いた戦争記録画(以下、戦争画と表記)が数多く制作されました。制作したのは、戦意高揚と軍の宣伝を目的に指名を受けた一流の画家たちでした。彼らは従軍画家と呼ばれ、1938年、藤田もこのメンバーに加わりました。しかし、戦後、彼らを待っていたのは、画家仲間からの厳しい批判でした。1945年10月14日、医師で洋画家でもあった宮田重雄が「美術家の節操」と題した文章を朝日新聞に投稿、藤田はじめ、戦争画を描いた画家たちを「ファシズムに便乗し通した人」と呼び、「作家的良心あらば」「謹慎すべき時」であると主張したのです。翌年には、日本美術の民主的な発展と新たな価値の創造を掲げて発足した日本美術会が「自粛を求める」美術家として、藤田嗣治、中村研一、鶴田吾郎、横山大観など、8名の画家を名指しするという出来事が起こりました。同じ頃、藤田の友人で、当時、日本美術会の書記長だった内田巌は藤田のもとを訪れ、美術会での活動自粛を求める通知を言い渡したといいます。一方、藤田の主張は次のようなものでした―画家とは真の自由愛好家で、軍国主義者であろうはずがない、「戦争発起人でも」「捕虜を虐待した訳でもなく」、国民の義務を果たしただけと考えているが、本当に戦犯として裁かれるのであれば、せめて紙と鉛筆だけを与えてほしい―。こうした言葉には、国民の義務として従軍しつつも、画家として戦争画と向き合った藤田の姿がうかがえます。事実、藤田が残した数々の言葉からは、当時、従軍画家としての使命を担った中で、芸術表現を研磨しようとした意気込みが感じられます。本展では、終戦80周年を記念した特別企画として、藤田が描いた戦争画をはじめ、戦時下における彼のさまざまな画業を紹介します。当時、従軍画家として第一線で活動を続けた藤田は、何を描こうとしたのか。藤田の言葉も手がかりとしながら、戦時下で制作された数々の作品を丁寧に読み解きます。
みどころ
初公開作品が出展
戦時下において『ホロンバイルの荒鷲』(1941年刊行)と『バルシヤガル草原』(1942年刊行)の装幀と扉絵を手がけた藤田。本展では、その原画である《飛行場》(インク、水彩・紙 制作年不詳)と《輸送隊》(インク、水彩・紙 制作年不詳)が初公開となります。また、同じく当時戦争画を描いていた日本画家 吉岡堅二との合作《貝》(水彩、墨・紙 1942-1944年頃)も初公開となります。。戦局がもっとも厳しい頃、二人は何を思い、この作品を描いたのでしょうか。作品画像:《輸送隊》 制作年不詳 インク、水彩・紙
戦時下のパリを記録した手帳と作品のご紹介
従軍画家となった翌年の1939年4月、藤田は突如、パリへと飛び立ちます。しかし、パリの戦局悪化にともない、翌年7月、画家の高野三三男らと共に伏見丸で帰国しました。その後、藤田は戦争画の制作に力を入れていくことになります。本展では、約1年というわずかなパリ滞在期に描かれた作品や、戦時下のパリについて藤田が記録した手帳を公開します。パリのオルドネ―ル通りを描いた《巴里 オルドネ―ル》(1940年 油彩・キャンバス)は当館・初公開作品です。ドイツ軍の侵攻が迫る1940年に描かれたこの作品からは、静まり返ったパリの様子を窺い知ることができます。作品画像:《巴里 オルドネ―ル》 1940年 油彩・キャンバス
藤田嗣治 猫のいる風景 -かたわらの動物たち-
会期/ 2025.05.01 - 2025.06.30
本展では、藤田嗣治の作品に多く登場する猫をはじめ、藤田が描いたさまざまな動物にフォーカスし、その魅力に迫ります。
2024.9.27 「藤田嗣治の愛しきものたち」
会期/ –
現在の所蔵作品数は約200点
本展では開館2周年記念として「藤田嗣治の愛しきものたち」をテーマに、できるだけ多くの作品をご覧いただきます。色鮮やかな壁に所狭しと飾られた藤田嗣治だけの作品。これほど贅沢に藤田の作品を鑑賞できるのは、世界中どこを探しても、当館の開館記念企画だけでしょう。この機会をお見逃しなく!
2024.7.25 戦争の時代 日本における藤田嗣治 日常から戦時下
夏の特集展示 2024戦争の時代 日本における藤田嗣治 日常から戦時下へ
2024.7.25(木) – 2024.9.24(火)
《額縁を作る》1941年 土門拳 土門拳記念館蔵
展覧会概要
軽井沢安東美術館(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東43番地10)にて、夏の特集展示2024「戦争の時代 日本における藤田嗣治 日常から戦時下へ」を2024年7月25日(木)から開催いたします。1920年代パリ、「乳白色の肌」で一躍時の人となった藤田嗣治は、1933年から日本を拠点に活動し、1938年以降は従軍画家として戦争画を制作しました。本展では、藤田が名声を手にしたパリ時代と、戦後、二度と日本に帰らぬ決意でスタートしたフランス生活時代とのはざまとなる、藤田が日本に滞在した1930年・40年代にフォーカスします。戦争の影が忍び寄り、次第に戦争へと巻き込まれていく藤田の内面に迫ります。
本展について
1920年代、「乳白色の肌」の裸婦で一躍時の人となった藤田嗣治。1929年に凱旋帰国展のために一時帰国した後、1933年からは日本を活動の拠点とし、1938年以降は従軍画家として戦争画を制作しました。しかし、戦後、戦争責任をめぐる問題で傷心した藤田は1949年にニューヨーク経由でフランスを旅立ち、それ以降、再び日本に戻ってくることはありませんでした。藤田が長期にわたって日本に滞在した1930年代、次第に戦争の足音が近づきつつも、藤田は変わらず作品制作に意欲的でした。フランスや中南米での経験をもとに壁画を多く手がけ、メキシコで出会った人たちを描くほか、肖像画の制作も精力的にこなしました。また日本画を多く描いたのも日本滞在中でした。1934年には二科会にも所属し、日本を拠点に活躍していく姿勢を示しています。また藤田は外務省などから、海外へ向けた日本文化の紹介という任務を受けたこともあって、日本全国津々浦々を旅をし、日本の風景・風習・伝統を描きました。こうした日々を送るなかで藤田は、日本について綴った文章を多く残しています。一方、戦争が本格化するまで、藤田は「国際人」として作品や文章を通じてフランスを紹介することにも精力的でした。1937年に日中戦争が勃発すると、藤田を含む多くの画家たちが従軍画家となり、母国のために制作に取り組みました。藤田の作品からは西欧的なモティーフは消え去り、画風は日本的なものへと変化します。その後は「銃後の生活」や戦場にフォーカスした作品を描いていきました。しかし、1939年4月、突如、藤田は5番目の妻となった君代と共に日本を後にし、パリに向かいます。そしてヨーロッパの戦局が悪化し帰国を余儀なくされるまで、藤田はフランスに留まり続けました。最終的に1940年5月に帰国、それから藤田は頭を丸め、戦争画の大作をいくつも手がけ、従軍画家としての使命を全うしたのでした。渡仏の理由について藤田は「芸術を媒介として国際親善の一役を買って」出るためだったと述べていますが、真相はわかっていません。1939年に藤田が記した日記や手帳を見るかぎり、戦時下であるということを除いては、かつてのパリ生活と大きく変わったところはみられず、日々、作品を制作し、現地の日本人とさかんに交流しました。ただ戦局には敏感で、戦時下での出来事を詳細に記録しています。そして日本に再び戻ってきた藤田は戦争画の制作に没頭し、《アッツ島玉砕》(1943年 油彩・キャンバス 東京国立近代美術館蔵)をはじめとする大作を生み出していきました。本展では、藤田が名声を手にしたエコール・ド・パリ時代と戦後のフランス生活とのはざまにある時代、すなわち、藤田が日本に滞在した1930年代、40年代にフォーカスします。日常に戦争の影が忍び寄り、次第に戦争が激しくなるなかで生み出された藤田の作品、そして土門拳撮影による貴重なポートレート写真をご紹介します。当時の藤田の心情に思いを馳せながら、鑑賞をお楽しみください。
みどころ
1.初公開作品をご紹介!本展では、新たに加わった作品3点を初公開します!2.海外との架け橋として―日本の藤田に注目1929年、そして1933年から1949年まで日本に滞在した藤田。大戦中の藤田は国民の戦意高揚につながる《哈爾哈河畔之戦闘》(1941年 油彩・キャンバス 東京国立近代美術館蔵)や《アッツ島玉砕》(1943年 油彩・キャンバス 東京国立近代美術館蔵)といった大作の従軍画家として知られていますが、それ以前の藤田は地方の風景や日本の伝統、日本女性などについてについて語り描き、それらを世界に向けて発信する役割を担っていました。1938年3月、藤田がピカソに宛てた手紙には、日本の良さとともに、日本が軍国主義一色の国ではないことが綴られています。本展では戦争の足音が近づきつつも、まだ平穏な日常下にあった日本における藤田の様子を、所蔵作品や解説と共にご紹介いたします。3.特別展示を同時開催!「藤田嗣治 日本における『本のしごと』 藤田が見たフランス」会期:2024年7月25日(木)〜9月24日(火)ジャポニズムが再燃した1920年代のパリにおいて日本を紹介する「本のしごと」に携わった藤田は、今度は戦争が本格化するまでの日本においてフランスの風俗や流行、女性などをテーマに「本のしごと」を手がけました。なかでも女性の活躍や海外文化を紹介する婦人雑誌は、海外生活の長い藤田を歓迎し、表紙絵の制作を藤田に依頼しました。特別展示では『本のしごと』を通じて藤田が見たフランスをご覧いただくとともに、戦争が間近に迫りつつも、1930年代の日本社会に漂っていた進歩的な空気を、是非、お楽しみください。
出展作品のご紹介
初公開作品 《猫》1929年 墨・絹本
藤田と幼少期から親交のあった水戸徳川家13代当主圀順(くにゆき)が、1929年、『大日本史』の編纂を完成させた功績として公爵となった際、藤田がお祝いの品として描いた墨絵。パリで成功し、凱旋帰国中だった1929年に描かれた作品と思われます。戦後、パリに戻ってからも続いた二人の友情。圀順の功績を心から祝う藤田の気持ちが感じられるような優しい筆遣いにご注目ください。
初公開作品 《九江 航空隊 整備》1940年 油彩・キャンバス
この作品は、1938年7月26日から日本軍の支配下にあった長江(中国)の港町・九江での様子を描いた油彩作品です。1938年10月、藤田は海軍省嘱託として、藤島武仁、石井白亭、中村研一らとともに漢口攻略戦に向かいましたが、その経由地となったのが上海と九江でした。九江で迎えた朝について藤田は「トラックの音、兵士達の作業するハンマーの音、船の汽笛、荷揚げの騒音、雀の声、トンビの鳴き声、九江は朝から賑やかである」と自著に記しています。戦時下でありながら日常的な賑わいの一コマを、淡くも色鮮やかに描いた藤田の作品をお楽しみ下さい。
初公開作品 《道で遊ぶ子供たち》1955年 紙・墨
本作品は、1936年5月、フランスの文化人ジャン・コクトーが日本を旅行したときの思い出を綴った『海龍』(1955年 ジョルジュ・ギヨ社)におさめられた挿絵のひとつです。11日間にわたるコクトーの日本滞在に同行したのが翻訳家の堀口大學と、当時、日本を拠点に活動していた藤田でした。作品の制作年は1955年ですが、ここにはコクトーとともに藤田が目にした1930年代の日本の風景が描かれています。
『ホーム・ライフ』(表紙:藤田嗣治 1937年4月号 大阪毎日新聞社/東京日日新聞社 軽井沢安東美術館蔵)
同時開催「藤田嗣治 日本における『本のしごと』 藤田が見たフランス」会期:2024年7月25日(木)〜9月24日(火)
2024.3.7 藤田嗣治 エコール・ド・パリの時代 1918~1928年
春の特集展示藤田嗣治 エコール・ド・パリの時代 1918~1928年
2024.3.7(木) – 2024.7.23(火)
軽井沢安東美術館 展示室2(中央)《二人の少女》1918年 油彩・キャンバス、(左)《腕を上げた裸婦》1924年 油彩・キャンバス、(右)《街はずれの門》1918年 油彩・キャンバス
展覧会概要
1913年に渡仏した藤田嗣治は、「乳白色の下地」でヨーロッパを席巻する1920年代まで、さまざまなスタイルを模索しますが、そこには日本人として大成するという変わらぬ決意と、自由な画風を重んじた、彼を取り巻く画家たちの影響がうかがえます。本展では「藤田嗣治 エコール・ド・パリの時代 1918~1928年」と題し、1910~20年代のスタイルがどのように生み出されたのかを紹介します。独自のスタイルの確立を目指して挑戦し続けた藤田初期の作品を、当館コレクションとともに、どうぞじっくりとお楽しみください。講演会『乳白色の肌』の質感表現について」2024.6.16(日)講師:内呂博之氏(ポーラ美術館主任学芸員)詳細・お申し込み方法はこちらから
出展作品のご紹介
本展では、1913年の渡仏から「乳白色の下地」の完成にいたるまで、独自のスタイルを模索しながら制作にあたった藤田初期の作品を中心にご覧いただきます。
《街はずれの門》1918年 油彩・キャンバス
藤田がパリの風景を集中的に描いたのは1917年~1918年。それはいわゆる誰もが知る各所旧跡の類ではなく、この絵の題名が示すような、ひっそりとした場末の景観でした。都市周縁のさびれた眺めはアンリ・ルソーが1890年代から取り組んだテーマ。ルソーはエコール・ド・パリのあいだで人気の根強い作家だったことから、藤田がルソー本人と会うことはなかったものの、彼の作品を実際に見る機会はしばしばあったといわれています。モティーフや物悲しい色合いなど、本作品にはルソーの影響がところどころに垣間見られます。展示室:展示室2(緑の部屋)
《二人の少女》1918年 油彩・キャンバス初公開作品
1918年8月、アヴィニョンそばの町で制作された作品。手に人形とポジーの花を握った金髪と黒髪の少女が椅子に腰かけ、まっすぐにこちらを見つめる様子は、同年にモディリアーニが描いた「二人の少女」の構図や視線と通じるものがあります。1910年代は藤田が、ピカソやモディリアーニ、ルソーなどの影響を受けてオリジナリティーを模索した時代でしたが、この作品はそれを象徴する若かりし頃の作品の一つといえるでしょう。こちらは、本展での初公開作品となります。展示室:展示室2(緑の部屋)
《壺を持つ女性》1920年 油彩・キャンバス
二番目の伴侶となったフェルナンドが敬虔なカトリック教徒だったこともあり、藤田の初期作品には宗教的なものが少なくありません。1918年に南仏を訪れ、かつて教皇庁があったアヴィニョン近くを旅し、中世の宗教美術に触れたことも創作の契機となりました。一方、その画風には単純化されたフォルムの女性像で有名なモディリアーニの影響も感じられます。展示室:展示室2(緑の部屋)
《腕を上げた裸婦》1924年 油彩・キャンバス
1921年のサロン・ドートンヌで話題をさらった藤田の裸婦は「素晴らしき乳白色の下地」と呼ばれ、その後もヨーロッパを席巻しました。西洋で確立された油彩という技法に日本画の要素を取り入れたことで、藤田は「破格の成功」をおさめたといわれています。1924年に制作されたこの裸婦は、前年の第16回サロン・ドートンヌに出品された藤田の大作「五人の裸婦」(東京国立近代美術館所蔵)のうち、左から二番目の女性と同じ構図で描かれた貴重な作品です。展示室:展示室2(緑の部屋)
《犬と遊ぶ子どもたち》1924年 墨、油彩・絹本
1920年代、藤田は「乳白色の下地」で一世を風靡するかたわら、日本画のような印象を受ける画風の作品も熱心に制作しました。そのひとつがこの《犬と遊ぶ子どもたち》。油彩でありながらも、やまと絵のような描き方で、日本人として挑戦し続ける藤田の決意が感じられる作品です。展示室:展示室3(黄色の部屋)
※著作権の関係により、いくつかの画像の掲載サイズが、32400px以下の小さなサイズでの掲載となっております。
2024.3.7 特別展示「『エロスの愉しみ』より」
特別展示「『エロスの愉しみ』より」
2024.3.7(木) – 2024.7.23(火)
『エロスの愉しみ』(ジャック・ブランドジョン・オッフェンバック著 アンリ・パルヴィル・エディション 1927年刊行)より 軽井沢安東美術館蔵© Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2023 E5455※著作権の関係により、画像の掲載サイズが32400px以下の小さなサイズでの掲載となっております。
2023.9.15 1周年記念特別企画「ようこそ藤田嗣治のお家へ」
1周年記念特別企画「ようこそ藤田嗣治のお家へ」
2023.9.15(金) – 2024.2.20(火)
展覧会概要
藤田嗣治だけを収蔵・展示する美術館として、2022年10月に軽井沢安東美術館が誕生してから、1周年を迎えます。開館以来、名作《猫の教室》(1949年)や貴重な乳白色の裸婦《腕を上げた裸婦》(1924年)などが新たに加わり、開館当初よりもさらにコレクションは充実し、今現在も増え続けています。
開館1周年を記念した本展企画のタイトルは「ようこそ藤田嗣治のお家へ」。当館創立者の安東泰志・恵夫妻が自宅の壁一面に藤田をかけて家族の歴史とともに慈しんできたように、1周年を記念した特別展示として、200点を超すコレクションから、圧倒的な規模感でご覧いただけます。
初公開作品として、猫が寄り添う自身の姿を描いた《猫のいる自画像》(1926年)、藤田に多大な影響を与えたといわれるマドレーヌ・ルクーがモデルとなった《婦人像》(1932年)、戦後の藤田の心情を知ることができる《除悪魔 精進行》(1952年)、そして藤田の最後の住処となったヴィリエ=ル=バクルの家に飾られていた飾り絵皿《猫のキリスト》(1958年)などをご紹介いたします。
また、全館を通じて初期から晩年までの藤田の人生を辿るほか、時代ごと、アトリエや自宅などで過ごすプライベートな藤田の姿も紹介致します。君代夫人の関係者から寄贈されたプライベート写真も10数枚、初公開します。藤田嗣治に会いに、是非、軽井沢安東美術館へお越し下さい。
寄贈いただいた藤田夫妻の遺品のご紹介当館は、戦時中に記録された、藤田嗣治の貴重な自筆の手帳など、貴重な藤田夫妻の遺品を、君代夫人関係者から寄贈いただきました。それらの遺品について、現在、当館では調査をすすめています。今回の展覧会では、それらの中から、藤田夫妻のプライベートな素顔を写し撮った写真10数枚を初公開致します。ヴィリエ=ル=バクルの家で君代夫人とともに寛いでいる藤田の貴重な姿をご紹介いたします。
初公開作品のご紹介
1周年記念特別企画では、200点を超す当館コレクションから、圧倒的な規模感で展示作品をご覧いただけます。新たに加わった初公開作品の数々から、主な出展作品をご紹介します。ぜひ会場でご覧ください。※著作権の関係により、いくつかの画像の掲載サイズが、32400px以下の小さなサイズでの掲載となっております。
《猫のいる自画像》1926年 コロタイプ・紙
生涯において、藤田は多彩な自画像を描いた作家ですが、とくに1920年代後半に描かれた自画像の多くには、上向きに顎を突き出し、牙をわずかに1本だけ見せるキジトラの猫の姿が寄り添っています。「サインがわりに猫を描くこともある」と本人が語っているように、藤田にとって猫はもっとも身近で親密な存在でした。新しく当館コレクションに加わったこの《猫のいる自画像》からも、そんな一人と一匹の、愛情に満ちた関係が伝わってきます。展示室:展示室2(緑の部屋)
《婦人像》1932年 水彩、墨・紙
藤田のモデルとして多くの作品に登場するマドレーヌ・ルクー。1931年10月、藤田は出会ってまもないマドレーヌを連れて中南米に旅立ちます。この作品はそんな道中に描かれたもので、当時、25歳だったマドレーヌの愛らしさと美しさが絶妙に表現されています。マドレーヌを見つめる藤田の温かいまなざしが感じられる作品といえるでしょう。展示室:展示室3(黄色の部屋)
《除悪魔 精進行》1952年 油彩・ガラス
戦後、戦争責任をめぐる問題に翻弄された藤田は日本を去ることを決意、1950年、再びフランスへ戻ってきました。この作品はそれから2年後の1952年に制作されたもの。ここには、「ゴシップ」「からかい」「嫉妬」に苦悩した藤田がパリへと渡り、「財もない」「アトリエもない」「名誉もない」自身に「私に力を与えよ」と跪き、天を仰ぐ姿が描かれています。当時の藤田の心情を知ることができる貴重な作品といえるでしょう。展示室:展示室4(青の部屋)
《猫のキリスト》1958年 陶製(マドゥーラ工房)
本作品は、藤田が人生最後の8年間を過ごしたヴィリエ=ル=バクルの家に飾られていた陶製の飾り絵皿です。壁掛け用の針金細工も、当時、藤田自身が施したものと思われます。また作品の裏面には、ピカソの陶器作品を一手に製作していたことで名高いマドゥーラ工房の刻印が入っています。展示室:屋根裏展示室
2023.8.3 夏の特集展示「戦争の時代の藤田嗣治 1936-1945年」
夏の特集展示「戦争の時代の藤田嗣治 1936-1945年」
2023.8.3(木) – 9.12(火)
展覧会概要
軽井沢安東美術館(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東43番地10)では、夏の特集展示として、「戦争の時代の藤田嗣治 1936-1945年」を2023年8月3日(木)より9月12日(火)まで開催いたします。日中戦争が勃発した1937年、日本に帰国していた藤田は、そのまま定住をする決意とともに、東京・麹町六番町に自宅兼アトリエを構えて、精力的に制作をつづけます。1939〜1940年は一時的にフランスと往復はしたものの、戦中戦後の動乱の世を日本において過ごしました。本企画では、当館が所蔵する100号のポスター原画《勇敢なる神風特攻隊》(1944年頃)の初公開とともに、この時期に取材して描いた風景画《佛印河内、安南人町》(1943年)、《武漢三鎮陥落の日》(1938年頃)などもあわせて展示します。この時代に藤田がなにを思って制作をしていたのか、同時代の藤田自身が残した言葉や、当館コレクションにある作品を通じて、「戦争の時代の藤田嗣治」を考える機会としたいと思います。また、山形にある土門拳記念館のご協力により、この時代に土門拳が撮影した貴重な藤田のポートレイト写真資料についても紹介いたします。
展示予定作品・資料
1930年代~1940年代に藤田が描いた作品
土門拳が撮影した藤田のポートレイト写真資料(協力:土門拳記念館)
藤田がてがけた同時代の装丁本・絵葉書など
藤田と同時代の画学生たちに関する資料(協力:無言館)
藤田嗣治、石井柏亭、中村研一ほか『大東亜戦争 海軍美術』(1943年/大日本海洋美術協会刊)
軽井沢安東美術館 展示室(中央)《勇敢なる神風特攻隊》1944頃、油彩・キャンバス(左)《群犬》1936頃、水彩、墨・紙(右)《佛印・河内、安南人町》1943、油彩・キャンバス
《額縁を作る》1941 撮影:土門拳 土門拳記念館蔵
《猫とくつろぐ》1941 撮影:土門拳 土門拳記念館蔵
2023.3.3 藤田嗣治 猫と少女の部屋
企画展
藤田嗣治 猫と少女の部屋
2023.3.3(金) – 9.12(火)
展覧会概要
軽井沢安東美術館は、日本で初めて藤田嗣治の作品だけを常設展示する美術館として、昨年10月、軽井沢にオープンしました。開館記念展に続いて、2023年3月3日(金)から9月12日(火)まで、企画展「藤田嗣治 猫と少女の部屋」を開催いたします。
当館は、安東泰志と妻・恵夫妻が約20年にわたって蒐集してきた、エコール・ド・パリの代表的な画家 藤田嗣治の作品約200点をコレクションしています。コレクションの始まりは、散歩の途中に偶然ギャラリーで出会った一枚の版画でした。そこに描かれた愛らしい猫に魅せられた二人は、その後、猫だけでなく少女の作品も好んで集めていくことになりました。
当館創設のきっかけともなった「猫と少女」の作品群にちなんで、本展では「猫と少女の部屋」と題した企画展示を開催いたします。そのほかに、藤田作品の代名詞でもある「乳白色の下地」の裸婦像、初期の貴重な風景画、レオナール・フジタとして生きた晩年に描かれた荘厳で静謐な宗教画など、それぞれの時代ごとに藤田の画業を代表する、多彩かつ貴重な作品もあわせてご紹介し、安東コレクションの中から全120点の作品をご覧いただきます。また、1949年のニューヨーク滞在中に描かれた貴重な作品《猫の教室》も、本展において初公開いたします。表情豊かに、そしてユーモアたっぷりに、躍動感あふれる猫たちが生き生きと描かれた藤田の代表作を、どうぞじっくりとお楽しみ下さい。
《パリの屋根の前の少女と猫》1955年 油彩・キャンバス
2匹の猫とともにまっすぐに正面を見つめる少女。この作品は、戦後パリに戻った藤田が描いた作品です。この頃から、藤田の描くモチーフのなかでも、子供、とくに少女が多く登場するようになります。懐かしいパリの風景とともに、瑞々しい輝きを放つ少女と猫の愛らしさは、安東コレクションのなかでも中核をなす存在です。
《猫の教室》1949年 油彩・キャンバス
日本からフランスに戻る途中のニューヨーク滞在中に描かれた作品です。擬人化された猫たちの個性豊かな表現がなんとも魅力的で、ありふれた日常の楽しい教室の一コマは、平和が回復した時代への喜びを伝えているかのようです。細かいひげや猫の毛なみのディティール、ユーモアあふれる猫たちの表情など、藤田が得意とする猫の表現が、あますところなく描かれた作品です。
《腕を上げた裸婦》1924年 油彩・キャンバス
エコール・ド・パリのなかで藤田が「破格の成功」を収めることとなった「乳白色の下地」と呼ばれる新しい絵画技法の作品。1923年の第16回サロン・ドートンヌに出品した「五人の裸婦」(東京国立近代美術館所蔵)のうち、左から二番目の女性と同じ構図で描かれた貴重な作品です。
2023.3.3 藤田嗣治と日本文化 パリにおける『本のしごと』
特別展示
藤田嗣治と日本文化 パリにおける『本のしごと』
2023.3.3(金) – 8.1(火)
特別展示
藤田嗣治と日本文化 パリにおける『本のしごと』
2023.3.3(金) – 8.1(火)
ジャン・コクトー著/藤田嗣治 装丁「海龍」(ジョルジュ・ギヨ社)1955年刊行より※著作権の関係により、画像の掲載サイズが、32400px以下の小さなサイズでの掲載となっております。
展覧会概要
藤田は生涯を通じて、実に多くの「本のしごと」を手掛けますが、ここではとくに当館の挿画本コレクションの中から、藤田と日本文化に注目してご紹介いたします。藤田が装丁、翻訳や編集まで手がけた『日本昔噺』、フランスの作家ピエール・ロティが日本滞在について綴った『お菊さん』や『お梅が三度目の春』、芸者がお座敷で歌う俗謡のフランス語訳『藝者のうた』、また藤田の繊細な筆遣いや可憐な色使いが特徴的な『千の黄金の花弁をもつ花』の挿絵に加え、藤田の友人でフランスの芸術家ジャン・コクトーの11日間に及ぶ日本旅行記『海龍』など、遠い異国の地で藤田が記憶をたぐりよせ、描いた日本の文化をご覧ください。
ジャン・コクトー著/藤田嗣治 装丁「海龍」(ジョルジュ・ギヨ社)1955年刊行より※著作権の関係により、画像の掲載サイズが、32400px以下の小さなサイズでの掲載となっております。
展覧会概要
藤田は生涯を通じて、実に多くの「本のしごと」を手掛けますが、ここではとくに当館の挿画本コレクションの中から、藤田と日本文化に注目してご紹介いたします。藤田が装丁、翻訳や編集まで手がけた『日本昔噺』、フランスの作家ピエール・ロティが日本滞在について綴った『お菊さん』や『お梅が三度目の春』、芸者がお座敷で歌う俗謡のフランス語訳『藝者のうた』、また藤田の繊細な筆遣いや可憐な色使いが特徴的な『千の黄金の花弁をもつ花』の挿絵に加え、藤田の友人でフランスの芸術家ジャン・コクトーの11日間に及ぶ日本旅行記『海龍』など、遠い異国の地で藤田が記憶をたぐりよせ、描いた日本の文化をご覧ください。
2022.10.8 軽井沢安東美術館 開館記念企画
2022.10.8(土) – 2023.2.14(火)軽井沢安東美術館 展示室
展覧会概要
日本初・藤田嗣治だけを常設展示する個人美術館が誕生軽井沢安東美術館は2022年10月8日、いよいよオープンを迎えます。当館は、多くの企業再生に携わってきた代表理事の安東泰志と妻・恵夫妻が長年収集し、自邸に大切に飾ってきた藤田の作品約180点を所蔵しています。藤田が生涯描き続けたモティーフの「少女」「猫」「聖母子」の絵画を中心に、初期の貴重な風景画や藤田の代名詞ともいえる乳白色の裸婦、みずから装飾した家具や食器といった手仕事まで、藤田作品だけを広範に展示する日本で唯一の個人美術館の誕生です。
開館記念企画として、所蔵主要作品ほぼ全てを展示開館を記念し、オープン企画では当館所蔵作品約180点から、ほぼ全ての主要作品を展示。当館コレクションの全貌を概観できるまたとない機会となります。また、通常美術館では藤田作品とともに写真が撮影できる機会はほぼありませんが、今回の展示ではフランスの藤田財団の全面協力のもと、展示室5を撮影可能スポットとしました。この特別な期間に限り、当館での思い出を持ち帰っていただけます。*今後も随時、企画展を開催予定です。詳細は決定次第、ご案内申し上げます。
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